箱入り息子 覚(さとり)
- magazine-yokai
- 2017年7月27日
- 読了時間: 2分

心を相手に見透かされていたらどうだろう。
計略、猜疑心、虚栄心、自己愛、全てが相手に伝わっていたらどうだろう。
恥ずかしい?いや、それも超えて、きっと「震えるほど怖い」のだろう。
山で覚(さとり)に出会ったら、その覚悟をした方が良い。
頭の中で思ったことを、全て見透かし、次々に言い当て、人間がうろたえ隙を生み出しとって食らおうとする、それが覚と言う妖怪だ。
彼に会えば、きっとこれまで社会経験で培った愛想も理論武装も、全て0になる。
ヘラヘラやり過ごす方法も、「善処します」と言う方便も、通用しないのだ。。
頭で考えないで動くこと、まして妖怪から逃げるなど、もはや普通の人間にはほぼ不可能だ。
覚に出会ってしまったら、私はもう、あぁ終わったな、と思ってしまうだろう。
(そして次の瞬間に、覚に「今、あぁ終わったなと思ったな」と言われて食われるのだろう…)
心の中を言い当てられるのは、グラグラと足下が崩れるほどに怖いものだ。
食われて命を落とす前に、アイデンティティが即座に崩壊してしまいそうな、恐ろしい能力だ。
しかし、そんな覚にも苦手なものがある。
「予測できないこと」だ。
突然ものが落ちるとかの、予想もつかないことが起きると、びっくりして慌てて逃げていくそうだ。
これは…希望が持てる情報だ。
自信を持って欲しい。現代人よ!
覚が出ても、大丈夫、大丈夫だ!
私たちは、「心を読まれると言う不測の事態」にはうろたえるが、
覚は散々人の胸中を読んで嘲笑うくせに、「日常に起こりうるであろう不測の事態」にめっぽう弱いのだ。
要は、彼は安全圏でしか生きていない、ただの世間知らずである。甘ちゃんである。箱入り息子である。
生きていれば何だって起こる。事故も、突発的な悲劇も。
私たちはそれを知っているし、乗り越えられるはずだ。だから、彼より強いはずだ。きっと大丈夫だ。
あとは、心を読まれても毅然としていられるよう、自分の中の悪い心にも日々気づくよう努力し、
きちんと向き合って弱さを受け入れて準備をしておけば、多少心の被害も少なくて済むだろう。
しかしながら…
こういった自己啓発的な作業は辛い人もいるだろうから、
そんな人は、そう、小脇にラグビーボールを常備すると言うのはどうだろう。
覚が出てきたら、ぽ~んとラグビーボールを投げてやれば、あの予測不能なバウンドを目の当たりにして、きっと彼は一目散に覚は逃げていくはずだ、と、思うのだが…
一案として、どうだろうか。。
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