top of page

箱入り息子 覚(さとり)


心を相手に見透かされていたらどうだろう。

計略、猜疑心、虚栄心、自己愛、全てが相手に伝わっていたらどうだろう。

恥ずかしい?いや、それも超えて、きっと「震えるほど怖い」のだろう。

山で覚(さとり)に出会ったら、その覚悟をした方が良い。

頭の中で思ったことを、全て見透かし、次々に言い当て、人間がうろたえ隙を生み出しとって食らおうとする、それが覚と言う妖怪だ。

彼に会えば、きっとこれまで社会経験で培った愛想も理論武装も、全て0になる。

ヘラヘラやり過ごす方法も、「善処します」と言う方便も、通用しないのだ。。

頭で考えないで動くこと、まして妖怪から逃げるなど、もはや普通の人間にはほぼ不可能だ。

覚に出会ってしまったら、私はもう、あぁ終わったな、と思ってしまうだろう。

(そして次の瞬間に、覚に「今、あぁ終わったなと思ったな」と言われて食われるのだろう…)

心の中を言い当てられるのは、グラグラと足下が崩れるほどに怖いものだ。

食われて命を落とす前に、アイデンティティが即座に崩壊してしまいそうな、恐ろしい能力だ。

しかし、そんな覚にも苦手なものがある。

「予測できないこと」だ。

突然ものが落ちるとかの、予想もつかないことが起きると、びっくりして慌てて逃げていくそうだ。

これは…希望が持てる情報だ。

自信を持って欲しい。現代人よ!

覚が出ても、大丈夫、大丈夫だ!

私たちは、「心を読まれると言う不測の事態」にはうろたえるが、

覚は散々人の胸中を読んで嘲笑うくせに、「日常に起こりうるであろう不測の事態」にめっぽう弱いのだ。

要は、彼は安全圏でしか生きていない、ただの世間知らずである。甘ちゃんである。箱入り息子である。

生きていれば何だって起こる。事故も、突発的な悲劇も。

私たちはそれを知っているし、乗り越えられるはずだ。だから、彼より強いはずだ。きっと大丈夫だ。

あとは、心を読まれても毅然としていられるよう、自分の中の悪い心にも日々気づくよう努力し、

きちんと向き合って弱さを受け入れて準備をしておけば、多少心の被害も少なくて済むだろう。

しかしながら…

こういった自己啓発的な作業は辛い人もいるだろうから、

そんな人は、そう、小脇にラグビーボールを常備すると言うのはどうだろう。

覚が出てきたら、ぽ~んとラグビーボールを投げてやれば、あの予測不能なバウンドを目の当たりにして、きっと彼は一目散に覚は逃げていくはずだ、と、思うのだが…

一案として、どうだろうか。。

特集記事
後でもう一度お試しください
記事が公開されると、ここに表示されます。
最新記事
アーカイブ
タグから検索
まだタグはありません。
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page