私たちの業 犬神
- magazine-yokai
- 2017年7月29日
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「蠱毒」という呪術をご存知だろうか。
一つの甕の中に、サソリや毒蜘蛛などあらゆる虫を入れ、蓋をする。虫たちは互いに殺し合い、喰らい合い、とうとう生き残るのは最後の1匹となる。
その生き残った虫を祭壇に祀ることで力を得、人を呪い殺したり念願を成就させる、もしくはその毒を用いて実際に人を殺めるために使う、
古代に使われていた呪術である。
人間が自分の命ではなく他の命を利用して、無理やり呪いの力を生み出し利用するという、
なんとも人間様らしい手法だと思う。
犬神も、その罪深い人間の業によって生み出された存在だ。
その方法は諸説あるようだが、
犬を頭から上だけ残し体を土に埋める。
そして絶対に届かない距離に餌をおき、しかし何も与えず、飢餓状態にする。
何日も、何日も、そのままにし、とうとう命が尽きるというその瞬間、犬の首を切り落とすと、
首は目の前の食べ物に食いつくという。
その首を焼き、祀ることで、その人間は力を得る、ということらしい。
この恐ろしい儀式によって、その後術者の念願は成就し、家は栄えるという。
一方、犬神はその術を行った者の「家筋」に取り憑く。
長年かければ徐々に離れる、ということもなく、永遠にその家筋について回るのだ。
犬神がついている家には他の家は嫁に行かせたがらないという。
一時繁栄したとしても、結局は村では孤立し、衰退し、きっと物寂しい最期になっていったことだろう。
犬神に取り憑かれた人物は、精神に異常をきたし、
情緒不安定になり暴れたり、また異常なほどの食欲を見せるともいう。
旧家といった昔の立派な屋敷には、座敷牢が備え付けてあることが多いそうだが、
その用途はいくつかあるとしても(いずれ残酷なものではあるだろうが)、その中に犬神に取り憑かれた身内を抑えるため、もしくは過去の呪術を公にせずに、これからもひた隠し続けるために設置されたのかもしれない。
過去の祖先の過ちのせいで、座敷牢で一生を過ごすしかなかった人物。
そしてそういった家に生まれ、肩身の狭い思いで暮らしていた人たちもいただろう。
家族を恨み合い、「誰のせい」「彼のせい」で争い、せめてものと金を奪い合い、まさに蠱毒と同様、身内同士でも争いは続いたことだろう。
(横溝正史の金田一耕助シリーズ「犬神家の一族」は、まさにその名前通りだ)
いずれ、力を手に入れるために命を利用し、身の程もわきまえなかった人間の業は、
未来永劫続くということなのだ。