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人が人を呪う顔 朧車(おぼろぐるま)


「むかし 賀茂の大路をおぼろ夜に 車のきしる音しけり 出てみれば異形のもの也 車争の遺恨にや。」

月が雲に翳りはっきりと見えない”おぼろ夜”に、

きいきいと牛車のきしむ音がする。

出て見てみると妖怪がそこにいた。

車争いによる遺恨から生まれ出た妖怪であろうか。

ここに記されるのが、「朧車(おぼろぐるま)」である。

この”車争い”とは、平安時代などの貴族たちが、

祭礼などの行事の際、自分の牛車を見物しやすい場所に移動させようと場所を取り合い争った、ことだそうだ。

まぁ…こう聞くと、なんともちんけな理由である。

そんなことでいちいち妖怪化されたら、そりゃ百鬼夜行もできるわな、と思うほど幼稚な生まれの妖怪である。

しかしながら、この場所取り争いは、当時の彼らには軽いものではなかったのだ。

源氏物語に「六条御息所(ろくじょうみやすどころ)」という女の人がいる。

人より教養や知性があり、美貌も備え、プライドも高かった彼女は、光源氏の愛人だった。

ある日、「葵の上」という光源氏の正妻と牛車の場所でぶつかり合う。

結果、意図的ではなかったにしろ、葵の上の家来が六条御息所の牛車を壊してしまい、

六条御息所は大勢の前で恥をかかされる結果となる。

その後、その恨みから六条御息所は生き霊となって葵の上を呪い殺してしまう。。

プライド、嫉妬、意地…。

場所を譲ることは当時の貴族にすれば己の価値を下げてしまうもので、それこそ己が人生を賭けて、負けるわけにはいかなかったのだろう。

だが朧車の顔を見て欲しい。

その様相は般若そのもので目がつり上がり、決して美しいものではない。

自分の身のために争っている人間たちは、たとえ美貌を備えた貴族であっても、この絵の通り醜く大衆の目に映ったのだろう。

(そして人は誰かを呪うとき、きっとこんなひどい表情をしているのだ…)

目には見えない心の争いこそが、姿の捉えられない朧であり、人を呪う妖怪となる。

まさにエゴイズムの映し鏡そのもののような、妖怪である。

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