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やおよろずの広報大使 唐傘小僧


一つ目で大きな舌を出し、一本足でぴょんぴょんと跳ねて現れる。

悪さはしないし、なんといってもその愛嬌が可愛らしい、唐傘小僧くんである。

その正体は、その通り”傘”である。

つくも神(付喪神、九十九神)といい、傘に限らず、物が長い歳月を経ると、魂を得ると言われている。

あらゆるものに命が宿り、自然のすべてのものは神が宿る。

唐傘小僧は、日本が「八百万(やおよろず)の神」を信じ敬ってきた、その象徴的な妖怪だ。

彼がいるからこそ、ものを大切にしなければな、という気持ちになれる。つい乱暴に扱った時に、「ごめんよ」と思える。

彼や彼の仲間たちが、痛がっていたり泣いていたりする姿は悲しくて、できる限り見たくはないから。。

今のようにプラスチックやビニールも生まれていない時代、

傘は骨を修理したり、張り替えたりして長いこと大事に大事に使っていたのだろう。

張り替えたばかりの傘はきっとキラキラしていただろうし、傘自身も嬉しがっているようにも、見えただろう。

唐傘小僧の魂は、きっと持ち主がそんな風に大切にしてくれたから、まるで愛し尽くされた子供のような、可愛らしい様相になったのだ。

妖怪となってもなお、傘であることが嬉しそうで楽しそうである。

私たちの持ち物で、こんなに楽しそうにしくれるものはあるだろうか。

この使い捨ての時代、街の中には笑って妖怪になってくれる物がどれほどいてくれるだろうか。

雨つづきの今夏、

どこかの街の外れでは、怒り顔のビニール傘が一本足で跳ね出しているかもしれない。

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